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勝手に無駄方便:No.59

2009 / 12  CATEGORY / 勝手に無駄方便

20091128_01.jpg

この「59」という番号と「英国バイク」が
ものすごーく深い関係であるということを、
最近になってようやく知ることとなったワタクシ‥。
(遅い!というツッコミは、どうかナシの方向で^^;)

そのお話しというのが、
これまた個人的にものすごーく興味深いお話しでございまして。
今回の無駄方便は、誠に恐縮ですが
この「59」という数字について少しだけ触れさせて頂きたい
‥と思っております^^



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1950年代初頭のイギリスでは、
コーヒー・バー・カウボーイズ(コーヒーを飲みながら
バイク自慢をし、公道レースを楽しむ若者達)や
タンナップボーイズ(100マイル以上の速度で走る若者達)と
呼ばれていた若者たちが、
英国車(TRIUMPH・BSA・ NORTON など)に乗って
縦横無尽にロンドンの街を走り回っていたそうです。

そんな彼らのスタイルのベースとなったモデルというのが
1953年に公開された映画、アメリカの暴走族を題材とした
「The Wild One(乱暴者)」の中で暴走族の頭を演じた
マーロン・ブランドのスタイルであったそうです^^

20091128_03.jpg

マーロン・ブランドがレザージャケットに、
ジーンズ、ブーツ姿で写っているポスター等は
若者達の間で話題となったそうですが、
当時彼らのほとんどが労働者階級等ということもあり、
マーロン・ブランドのような高価ジャケットなどを
真似することは到底できなかったため、
彼らは合皮ジャケットに英国製ジーンズ、
白い厚手のソックスをブーツの上に折り返し、
純白のストールを巻いてロンドンの街を走り回っていたのだとか。

20091128_04.jpg

1950年半ばから1960年にかけて
タンナップボーイズの行動はさらにエスカレートし、
「ロッカーズ」と呼ばれるように‥。

このロッカーズ達は、バイク談義は勿論、
速く走らせること、ナンパや、ジュークボックスに
情熱を注いでいたそうです^^;

そんな彼らのたまり場となっていたのが、
ジョンソンズカフェ、ナイチンゲール、ビージービーカフェ、
エ一スカフェといった地元のカフェなどで、
中でもエースカフェについては
ロッカーズのメッカとされていたそうです。

20091128_005.jpg

エースカフェは当時のロンドンで唯一の24時間カフェ。
ロッカーズ達の格好のたまり場となっていたらしく、
カフェの前の公道は彼らにとってのサーキット。
夜な夜な公道レースが繰り広げられていたのだとか。

この時期、彼らが行っていたレースは
「ジュークボックス・レース」と呼ばれていたらしく、
カフェにあるジュークボックスにコインを入れるやいなや、
表に駆け出しバイクのエンジンをかけスタート。

カフェ前の通りを走り、少し先のロータリーの十字路を回って、
曲が終わる前に帰ってこれるか。
というストリート・レースだったようです。

20091128_06.jpg

このジュークボックス・レースを見るためや参加する為ために、
ロンドンは勿論、イギリス中からロッカーズ達が集まり、
レース会場となる沿道を埋め尽くしていたのだそう。

しかし、当時はヘルメット着用義務もなく
多くの参加者がノーヘルで走っていたこともあり、
レース中に命を落とすロッカーズも少なくなかったそうです。

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そんな世間から煙たがられていたロッカーズにも変化が。
1960年初頭、「No.59」のキーマンとなる男性が登場します。
その男性は、トライアンフ・スピードツイン500を愛車とし、
神父服の上にレザージャケットをまとう変わった聖職者でした。

20091128_02.jpg

彼は、ロッカーズ達が屯するカフェに頻繁に訪れたそうで。
初めは邪魔扱いをされていたものの、その人当たりのよさや、
TRIUMPHに乗るバイカーあったことから
次第にロッカーズ達の輪に溶け込んでいったのだとか。

20091128_07.jpg

彼はロッカーズ達の味方となり、時に相談相手となったことから
ロッカーズ達は彼のことを「SWING-ING VICAR/いかした神父」と
呼ぶようになり、ロッカーズ達の人気者となっていったそうです。

その男性の名は、ファーザー・ビル・シャーゴールド氏。
英国教会の神父であり、後に世界No.1のユースクラブとなった
59 CLUBの創始者でもある男性でした。

ファーザー・ビル氏は、
若いモーターサイクリストに暖かい場所と行き場を提供するため、
1959年にロンドンのハックニーにユースクラブ“59 CLUB”を創立。
その後もロッカーズ達の集まる様々なカフェに顔を出し
若者達との交流を深め、さらに、ロッカーズ達の教育、更正を考え、
エースカフェとビージービーカフェでのライブや
ダンスパーティーといった様々なイベントをされたそうです。

20091128_08.jpg

その頃、ストリートレースでの若者達(ロッカーズ達)の死は、
当時のマスコミの標的となっていたらしく、
「即興レースで悲惨な結末を招く若者達」
というイメージが世間に根付き、
ロッカーズ達はバッシングを受けていたそう。

そんなバッド・イメージを取り去るべく
ファーザー・ビル氏は、若者達の理解と教育に時間と情熱を費やし
何年もそのような活動を行っておられたのだとか。

20091128_10.jpg

そんな、ひとりの神父による更正活動の話題は
少しずつ世間に広まり、ニュースにも取り上げられるようになり
ある新聞はツーリング前の礼拝に参加するロッカーズ達の姿を
「彼らはファーザー・ビルの立つ祭壇の前で安全運転を祈願する」
と報じたそうです。

この様なニュースによって、
瞬く間に「59 CLUB」の名前はイギリス中に知れ渡り、
当初50~60名ぐらいだったメンバーが
毎週数百人というペースで増加していったらしく、
ロンドンはもちろんイギリス中のロッカーズ達が
ファーザー・ビル氏のもとに集まったそう。

そして、
わずか2年間に7千人ものロッカーがメンバーに加入し、
当時、世界No.1のユースクラブにまで成長したそうです。

また、その頃のロッカーズ達は、
黒地に白で59と書かれたワッペンをつけることが
最高のステータスとなっていたらしく、
ユースクラブの布にペイントされていた59の部分を切り抜いて
腕に付けたのが始まりであったとか。

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その後、教会はロンドンのほぼ中心部に移り、
ユースクラブの最盛期を迎えることに‥。

毎週土曜日の夜を59 CLUBのミーティングの日として
ファーザー・ビル氏は教会を解放。
メンバー達にとってその場所は情報交換の場となり、
ロカビリーバンドによるライブや、ダンスパーティが開催され、
時にはメンバー達のバースデーパーティーや結婚式の会場として
ファーザー・ビル氏自らが祝い、祈りを捧げたのだそうです。

教会が終わった後の恒例ともなっていたのが、
チェルシー・ブリッジを目指してバイクを走らせることらしく、
100台を超えるバイクが一斉に爆音をとどろかせながら、
チェルシー・ブリッジに向かって走って行ったそう^^;

20091128_11.jpg

ロッカーズは、1964年のある事件を境に廃れていったらしく、
同時に59 CLUBのメンバーも減っていったそうですが、
あの頃を知る往年のロッカーズは、
「最もエキサイティングな時代だった」
と語っているそうです。

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※今回ご紹介いたしました「59 CULB」については、
 さらに複雑な社会背景や出来事が絡んでおり、
 ワタクシが調べたお話しは主な出来事のご紹介に過ぎません。
 さらに詳しく知りたい方は、枻出版社さまより発売されている
 「ロッカーズ&カフェレーサー」をご参考に^^




参照文献:ロッカーズ&カフェレーサー(枻出版社)
写真:革ジャン専門店 舶来堂さまのHPより使用させて頂きました。
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